大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 昭和38年(ネ)1151号 判決

控訴人 株式会社伏見晒工場

被控訴人 高島晒協同組合

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人はその製品につき原判決添付別紙目録第一に記載するような方法でクレープ生地の浴浸加工法を行なつてはならない。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は、主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張ならびに疎明関係は、控訴人において左記主張を附加するほかは、原判決事実摘示と同一であるから、ここに、これを引用する。

控訴人は、

(一)  特許申請が出願公告された場合、その出願にかかる特許自体は特許法第四九条の厳重な要件にてらし特許庁の審査の結果特許を与えるべき発明であることが確認されており、出願公告手続自体は特許庁の右確認行為につき単に客観的合理性を確保しようとする一種の担保的機能を形式的に踏むにすぎず、出願公告が終ればそれ以上特許の実質的内容につき何もつけ加えずそれが特許となるのである。したがつて、出願公告中の特許と特許権についての特許庁の行政行為上の意思内容および実質的な権利内容とは両者とも異なるところがないから、これによつて発生する工業所有権上の法的効果、たとえば差止請求権等については両者に優劣をつけるべき筋合はない。一旦特許公報に掲載されその発明内容の全貌を公衆白日の下にさらし出したにかかわらず、異議その他延引工作のため著しい損害を被りながらも、拱手傍観するほかはないとすることは、特許公告中の特許も実施権を専有すべきものとされている権利の本質にもとるし、右侵害を防止するためには仮処分申請の手続を措いて他にないから、出願公告中の特許にも被保全請求権が肯定されるべきである。

(二)  特許法上の仮保護の権利につき差止請求権が認められないとしても、本件のような仮の地位を定める仮処分は、権利関係の紛争が解決されないために現在生ずる危険を除去するため、その最終的確定的解決を見るまでの間一時暫定的な法律状態を国家が観念的に形成し、あるいは事実的にその実現をはかることを目的とするもので、そこに形成される状態は被保全権利とは別個の仮りの保全状態にほかならないから、本件仮保護の権利についても、その保全の必要性のある限りは、仮処分が許さるべきものであつて、仮保護の権利が不確定な権利であるとの一事により、被保全権利としての適格を否定すべきではない、と述べた。

理由

一、控訴人が昭和三四年九月一八日特許庁に対し原判決添付別紙目録第二記載のようなクレープ生地の浴浸加工法の発明について特許出願し、昭和三六年三月二日付で出願公告があつたことは当事者間に争がない。

二、(一) ところで、特許法は、出願公告の効果として出願人に業としその特許出願にかゝる発明を実施する権利を専有する旨規定する(特許法第五二条第一項)。登録によつて特許権が発生する以前において出願人にこのような権能(いわゆる仮保護の権利)を附与したのは、出願公告により出願内容を一般に公開し審査の評価につき合理性、客観性を確保しようとする反面、出願公告により公開された出願の内容が登録までの間に他人によつて不当に利用されることを防ぐために出願人を特に保護する必要があるからである。しかしながら、右権能は出願公告の時から特許権と同じ効力を有するが、特許出願につき拒絶すべき旨の査定もしくは審決が確定したときなど、初めから発生しなかつたものとされており(同法第五二条第五項)、いわば、解除条件付のものである。したがつて、特許権と異なり性質上不確定な仮保護の権利の侵害に対する救済についても、特許権との間に優劣を生ずるのは当然でといわねばならず、これを特許権と全く同一に保護すべきものとするのは妥当でない。これを特許法の規定についてみるに、仮保護の権利の侵害に対する救済方法として不当利得の返還または損害賠償の請求権を認めているが(前同条第二項)、特許権に認められるいわゆる差止請求権の規定(同法第一〇〇条)を準用していないし(同法第五二条第三項)、前記不当利得の返還または損害賠償請求権の行使も当該特許権の設定登録後に制限されている(同法第五二条第二項)ところからみて、これより一層強力な差止請求権が仮保護の権利に当然附与されるとすることは彼此権衡を失するといわねばならない。

これを要するに、特許法は、仮保護の権利の侵害については特許権の設定登録があつた場合に、不当利得の返還または損害賠償を請求することで足るものとし、それ以上に差止請求権までも認める趣旨ではないと解するのが相当である。したがつて、控訴人の本件仮保護の権利に差止請求権があることを前提とする本件仮処分命令の申請はこの点において既に理由がない。

(二) さらに、控訴人は、本件のような仮の地位を定める仮処分は被保全権利と別個の保全状態を形成するもので、仮保護の権利といえどもそれが法的保護に値する権利である以上、現在における侵害を排除する必要があるかぎり、その救済は仮の地位を定める仮処分申請によるほかはないから、本件仮処分申請は許さるべきであると主張する。

なるほど、仮保護の権利は前記のように解除条件付権利ではあるが、登録によつて特許権が発生する以前においてその出願にかゝる発明を実施する権利を有するものであつて、それ自体法的保護に値する権利であることはいうまでもないから、仮保護の権利が単に解除条件付な不確定権利であるとの一事によつて、仮の地位を定める反処分における被保全権利としての適格自体を否定すべきものではないことは控訴人の主張するとおりである。しかしながら、仮の地位を定める仮処分において、特定の被保全権利につき如何なる内容の保護が与えられるべきか、換言すれば如何なる内容の仮処分を許すべきかは、右被保全権利の性質と申請人の求める仮処分の態様およびその必要性との相関々係によつてこれを決すべきものであり、これを本件仮処分申請についてみれば、本件仮保護の権利の性質にかんがみ、その侵害を保全するために侵害の停止自体を求める仮処分すなわち、特許権に本来認められている差止請求権自体の満足を目的とする仮処分が許される必要性があるか否かにかゝるわけである。前記のとおり特許法が本件のような仮保護の権利の侵害に対する救済方法として差止請求権を附与していないのは、右権利の前記のような不確定的性格にかんがみ、その侵害に対する救済は将来の不当利得の返還または損害賠償請求権の行使をもつて一応満足すべきものとする趣旨にほかならないから、仮保護中の発明実施権を被保全債権としてその侵害の差止請求を求める本件仮処分が許されるためには、右実施権の侵害によつて生ずる損害が前記不当利得の返還または損害賠償請求権の行使によつて回復できない程度のものである場合、たとえば、右侵害により右実施権の行使自体が危殆に瀕する等の急迫異常な損害が現に発生しつゝある場合でなければならないと解すべきであつて、不当利得の返還または損害賠償の請求権が、通常の場合権利侵害に対する次善的方法にとゞまるというだけでは、右仮処分の必要性を肯定することはできないというべきである。控訴人は、被控訴人の侵害行為により回復すべからざる著しい損害が発生していると主張するが、本件全疎明によるも、右損害は被控訴人が控訴人の特許出願の権利範囲に属すると主張するクレープ生地のシルケツト加工をなすことにより、控訴人の生産品の販売高が減少することにより得べかりし利益を喪失し、また、製品の同一性の混同を招いて控訴人の信用がそこなわれていること以上に出ないものであつて、右損害は前記不当利得の返還または損害賠償の請求によつて回復しうべき程度の損害と解すべきものであり、前記のような急迫異常な損害の発生は疎明されないから、本件仮処分申請はその必要性を欠くし、また、本件において、保証を条件として控訴人の本件仮処分申請を認容することも相当でないと解せられる。

しからば、控訴人の本件仮処分申請はこれを許すべきでないからこれと同旨に出た原判決は結局相当であつて、本件控訴は理由がない。よつて、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 熊野啓五郎 斎藤平伍 兼子徹夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例